D{ヤ嬌句

September 0391997

 虫の音をあつめて星の夜明けかな

                           織本花嬌

情の質からすれば現代を思わせるが、作者は一茶と同時代に生きた江戸期の女流である。たしかに秋の夜明けは、いまでもかくのごとくに神秘的で美しい。蕪村の抒情性などを想起させるところがある。ところで、作者の嬌花は一茶より三歳年上で南総地方随一の名家の嫁であり、後に未亡人となった人だが、一茶の「永遠の恋人」として伝承されている。もとよりプラトニック・ラブだったけれど、一茶の片思いの激しさのおかげで、いま私たちはこのように嬌花の句を読むことができるというわけだ。文化六年三月に嬌花の部屋で行われた連句の会の記録が残っている。まずは一茶が「細長い山のはずれに雉子鳴いて」と詠みかけると、彼女は「鍋蓋ほどに出づる夕月」と受けている。いや、しらっと受け流している。このやりとりを見るかぎり、すでに一茶の恋の行方は定まっていたようなものだ……。気の毒ながら、相手が一枚も二枚も上手(うわて)であった。(清水哲男)


September 2192002

 名月を取てくれろとなく子哉

                           小林一茶

名な『をらが春』に記された一句。泣いて駄々をこねているのは、一茶が「衣のうらの玉」とも可愛がった「さと女」だろう。その子煩悩ぶりは、たとえば次のようだった。「障子のうす紙をめりめりむしるに、よくしたよくしたとほむれば誠と思ひ、きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。心のうち一點の塵もなく、名月のきらきらしく清く見ゆれば、迹(あと)なき俳優(わざをぎ)を見るやうに、なかなか心の皺を伸しぬ」。この子の願いならば、何でも聞き届けてやりたい。が、天上の月を取ってほしいとは、いかにも難題だ。ほとほと困惑した一茶の表情が、目に浮かぶ。何と言って、なだめすかしたのだろうか。同時に掲句は、小さな子供までが欲しがるほどの名月の素晴らしさを、間接的に愛でた句と読める。自分の主情を直接詠みこむのではなく、子供の目に託した手法がユニークだ。そこで以下少々下世話話めくが、月をこのように誉める手法は、実は一茶のオリジナルな発想から来たものではない。一茶句の出現するずっと以前に、既に織本花嬌という女性俳人が「名月は乳房くはえて指さして」と詠んでいるからだ。そして、一茶がこの句を知らなかったはずはないのである。人妻だった花嬌は、一茶のいわば「永遠の恋人」ともいうべき存在で、生涯忘れ得ぬ女性であった。花嬌は若くして亡くなってしまうのだが、一茶が何度も墓参に出かけていることからしても、そのことが知れる。掲句を書きつけたときに、花嬌の面影が年老いた一茶の脳裏に浮かんだのかと思うと、とても切ない。「月」は「罪」。(清水哲男)




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